ある年の成人の日のこと
以下の文は私が、自分の成人式の翌年の成人の日に書いた日記です。
当時既にアパレル販売のアルバイトをしていたこともあって、
稚拙ながら色々と考えていたようです…
一年前、家に帰って、少し名残惜しみながら慣れない帯を解くと、
すぐさま日記帳を開いた。
読み返すと、中高の友達が相変わらず優しかったとか、
振り袖が綺麗で嬉しかったとか、ぐちょぐちょと書いてあった。
よっぽど楽しかったらしい。
そして、こう書いてあった。
「この振り袖を来年着る二十歳の女の子が
今日の私と同じくらい幸せになってくれるといい」
自分で書いたことをすっかり忘れていた。
読んで、私は幸せ者だと、一年越しに再び感じた。
本当に本当に綺麗な振り袖だった。
親が一生懸命選んでくれたものだった。
普段は少しのおしゃれも許してくれない母親が
「この色が似合う」なんて言葉を使うのが、
ちょっとおかしくて、嬉しかった。
二十年間大切にされてたんだ。
大切にされてるから、こんなに綺麗な振り袖を着られるんだ。
そしてそう思うと、ますます色が鮮やかに見えた。
私の振り袖はレンタルだったので、
今年もどこかで着てもらっているかもしれない。
着ている二十歳の彼女は、きっと幸せに違いないんだ。
振り袖は、二十年間大切にされていた証拠。
人は本当に愛されて幸せなとき、
ごく自然に見知らぬ誰かの幸せを願えるのだろう。
新成人の方、おめでとうございます。
これから先の人生が、幸せでありますように。